オリーブの木とチンツィアの思い出

2012年9月29日

 

20120929192924b3e(ガルダ湖畔のオリーブの木)

 

 霧雨のロンドンから北イタリアに着くと、さんさんと降り注ぐ南国の陽光のなかで、オリーブの木々の散在する田園風景が広がっていた。

 5年前の夏だった。イギリスは冷夏で、夏らしい陽射しがあまりなかったうえ、しとしとと雨の降る日も多かった。うっとうしい気候に嫌気がさして、夏が過ぎる前に思いっきり太陽の光を見たいと思い、8月末、家族で北イタリアのガルダ湖畔へ行くことを決めた。新聞広告で見つけた割安のグループ旅行だったが、交通機関と宿泊ホテルを他の旅行者と共にする以外は何の拘束もなく、各自勝手に自由行動、という気ままな旅行プランだった。
 
 ガルダ湖は、アルプス山脈の南の、スイスからイタリアにかけたいわゆる「イタリアの湖水地方」にある。コモ湖やマジョーレ湖など、名の知れた湖が点在するこの一帯で、最も大きな湖であるということ以外には、私はガルダ湖についてなにも知らなかった。

 ロンドンから空路ミラノ入りしたあと、湖畔までの道のりをバスで2時間ほど揺られるあいだ、なだらかな山の連なりとオリーブの木々を車窓から眺めるうち、遠い記憶の底に沈んでいた風景や出来事が押し寄せるように脳裏によみがえってきて、私はあっと声を上げた。その場所は、数十年前に何度も訪れて、忘れることのできない楽しい時を過ごしたところだったのである。ホテルに着いてフロントで確認すると、なつかしい「ロベレット」の町は、宿から車でわずか20分のところにあるということだった。


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 ロベレット。その名を聞くだけで、私は胸がキュンとなる。私はその地で、10代後半の悩み多き日々をしばし忘れて、思いっきり手足を伸ばし、おおらかで陽気な人々の笑い声のなかに自分をうずめた。

 ロベレットは、高校時代のイタリア人の親友、チンツィアの故郷だった。彼女の実家があったその町に、私は何度、招いてもらったことだろうか。あのときも、住んでいたスイスの陰鬱な気候を逃れ、あふれんばかりの光を求めて、イタリアへ行った。

 当時、私は両親と一緒にジュネーブで暮らし、現地の国際高校に通っていた。チンツィアは親元を離れて留学しており、同じ学校の寮で生活していた。彼女は、幼少時代を父親の仕事の都合でアフリカ・ソマリアの旧イタリア統治地区で過ごしたせいもあるのか、野性味があって、ダイナミックな女の子だった。運動神経が抜群で、スポーツ万能、性格は南欧の夏の太陽のように、底抜けに明るかった。

 私は、といえば、初めての外国生活にとまどい、学校ではすべて英語で行われる授業がよくわからず、アップアップしていた。とくに日照時間の少ない冬になると気分が暗くなりがちで、鬱々とした日々を送っていた。チンツィアはそんな私を、休みのたびにロベレットに誘ってくれた。「ナオコ、イタリアへ行こう。人生には楽しいことがたくさんあるんだよ」と言って。  
 
 彼女の実家は、ロベレットの町を囲む山の中腹あたり、徒歩で40分ぐらい山道を登ったところにあった。2人で大きなリュックを背負って家に到着すると、町でサラミ工場を経営するお父さんと、専業主婦のお母さん、それに4つか5つ年下の妹のサブリーナが、いつも笑顔で迎えてくれた。実家までの山の斜面は、いちめんオリーブの木に覆われていた。あの曲がりくねったくせのある枝いっぱいに、一年中変わらずくすんだ緑の葉をつけるオリーブの木々に出会うと、ああまたイタリアにやって来た、と私は大きく息を吸った。

 

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(ロベレット近辺の風景)

 

 アルプス山脈を北から南に越えると、短い夏が過ぎたあとは分厚い灰色の雲に覆われる北ヨーロッパとは打って変わり、陽光あふれる別世界が広がる。そこでは、オリーブの木はなくてはならない風景の一部をなす。ギリシャ、イタリア、スペインなどの地中海沿岸諸国で、紀元前数千年から人々が栽培してきたオリーブの木は、人類と歴史をともにしてきた最も古い樹木のひとつである。オリーブの実とオリーブ・オイルは、この地域では食生活の必需品であるばかりでなく、信仰の場でも用いられ、あらゆる場面で暮らしに深く根づいている。

 ロベレットも、そんな南欧の「オリーブ圏」にある町であり、チンツィアの実家の風景にも、オリーブの木が欠かせなかった。

 「チャオ、お帰り!」。家に着くと、一家は、私までまるで家族の一員であるかのように迎え、抱擁してくれた。彼らがにぎやかにイタリア語で語り合う光景が、私は大好きだった。イタリア語はまったくわからないけれど、陽気で、カンツォーネのように力強く軽やかな響きがある。とりわけ、すみずみまで掃除がいき届き、住民も何とはなしによそよそしい感じがするジュネーブから行くと、イタリアには人間味あふれるぬくもりがあった。

 厳格なお父さんと、優しいお母さん。お母さんは当時、まだ40歳前で溌剌としていたが、良妻賢母の役割を懸命に果たしていた。チンツィアによれば、10代のころ陸上(走り幅跳び)の選手として名をあげ、さらなる活躍を期待されていたのに、10歳以上も歳の離れたお父さんに見染められて20歳前に結婚し、家庭に入ったのだそうだ。チンツィアの運動神経は、お母さん譲りだったのだ。

 このお母さんの手づくりのパスタは天下一品で、私たちが一日遊びほうけて夕方に帰宅すると、彼女は決まって台所で粉を練っており、その指が器用にくるくると蝶や貝殻の形をしたパスタをつくり上げると、私は歓声を上げた。できたてのパスタは、お父さんの工場でできたサラミと一緒に食卓に並び、近くのオリーブ園で採れたオリーブの実が添えられた。その園自家製のオリーブ・オイルをベースに、お母さんが料理したパスタソースのおいしかったこと。夕食時の楽しい団らんは、オリーブの香りに包まれていた。

 家の周辺にはまた、ぶどう園が広がっており、すばらしい自然環境だった。私はこの大自然の中で、チンツィアと一緒にたくさんの「冒険」をした。オリーブの山道を駆け下り、彼女の幼なじみたちを町に訪ねて、遠出をした。彼らに連れられて山奥のモトクロス場へ出かけて行き、モトクロスの選手だった男の子の運転するバイクの後ろに乗せてもらい、でこぼこ道を走った。まぶしい太陽の下で、オートバイの轟音と若者たちの笑い声が山あいに響いていた。

 家じゅうが寝静まった深夜、2人でこっそり家を抜け出し、お父さんの激怒をかったこともある。翌朝、並んで正座をさせられると、頭の上からものすごい声の雷が落ちた。(イタリア語だったので私は何を言われているのかさっぱりわからなかったが、、、。)チンツィアはこの時ばかりはしおらしくなって、「妹は親の言うことをよくきくいい子だけれど、私はこうやって小さいころから叱られてばかり」と言うのだった。

 それでも懲りずに、また冒険に出る。夜中に裏手のぶどう園で野犬に追われ、2人であわてて木によじ登ってしのいだことも、いまではいい思い出である。その後、近くに住む子どもが野犬にかまれてけがをした、と聞いてひやっとしたものだが、、、。

 

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(ガルダ湖から見えた風景)


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 チンツィアから、私は人生をたくましく自分の力で切り開いていく姿勢を学んだ。彼女と一緒にいると、どんな困難にあっても道は必ず開ける、という気持ちになれた。ジュネーブで私が通っていた国際高校には、国際機関が多数あるジュネーブらしく、世界各国の家庭の子弟が通っており、また、安全で教育水準も高いスイスで英語による教育を受けさせようと、ヨーロッパ全域の親が子どもを留学させていたので、寮で生活するチンツィアのような子も大勢いた。

 ここで過ごした学校生活にやや暗い影がつきまとったのは、授業についていくのが大変だったというだけでなく、私は当時、ひとりの女性として将来、どのような道を歩んでいくのかについて大きな不安を持ち、悶々としていたからでもある。出会った女の子たちは、みな将来をしっかりと見据え、つきたい職業や実現したい夢について、目を輝かせて語っていた。語学が達者で通訳になると言っていたイタリア人のソニア、ちょっと気どったイギリス英語で、教師を目指すと言ったイギリス人のルース。カナダ人のウェンディは、ビジネスをやって金持ちになりたいと話していた。

 「幸せな結婚をしたと思っても、何があるかわからないのよ。手に職をつけて自立することが大事よ」と、展望を持たない私を諭すように言ったのは、ドイツ人のビアンカだった。彼女は、育児をしながらセクレタリーの仕事をしたいと、現実的だった。1960年代後半にアメリカで起こった女性解放運動は、私がジュネーブで暮らした70年代半ばから後半には、ヨーロッパにも到達していて、国際高校の女子生徒たちの意識に大きな影響を与えていた。女の子も、学校で勉強しているときから目的意識をもたなければいけない、という考えかたに接して、私は目を覚まされた。でも、いったい、どうしたらいいのだろう、、、。

 「何がやりたいかなんて、そのうちにわかるよ。悩んでもしょうがないじゃない」と、チンツィアは笑った。彼女は考える前に、まず行動するタイプで、私はそんな大らかな強さに魅かれた。「戦争ジャーナリストになって、戦場に行こう」。ある日2人でこう言い、約束し合った。


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 ロベレットとチンツィアの思い出は、その後日本に帰国してからも、私の原点となって生き続けた。時折、あのぷーんと南欧の香りがするオリーブの木々を思い出しながら、これからやってくる大海原のような未来を思い、期待と不安に胸をときめかせた。戦争ジャーナリストにはならなかったが、私は大学卒業後、本当に新聞記者になった。彼女はあの時の約束は忘れてしまったのか、大学で勉強した自然科学の知識を生かして、製薬会社に就職したようだけれど。

 それにしても、私は、ガルダ湖がロベレットのすぐ近くにある湖だというだということに、旅行の計画を立てた時、どうして気がつかなかったのだろうか。多分、ロベレットは私の中で、すでに遠い思い出の地になってしまっていたからだろう。あれから30数年の時間が流れた。日本人訪問者がまだ珍しかった当時、私の姿を見て人々が「ジャッポネーゼ!」と振り返ったロベレットの風景は、もうすっかり変わったにちがいない。気の遠くなるような年月を生き抜いてきたオリーブの木々だけが、30数年なんてどうということはない、と少しも動じずにあそこで立ち続け、戻ってきた私にロベレットを思い出させてくれたのだ。

 ガルダ湖に行ったあと、私はチンツィアの居どころを突きとめ、彼女と電話やメールで言葉を交わすことができた。チンツィアはフランス人男性と結婚して、スイスで仕事をしながら2人の子どもを育てていた。彼女の話では、あの時は仲がよさそうに見えた両親は、その後うまくいかなくなって離婚してしまったという。離婚はお母さんのほうから言いだしたのだという。その後、お父さんは別のイタリア人女性とイタリアで暮らし、お母さんはアルゼンチンの男性と一緒になって南米に渡ったということだった。妹のサブリーナは南アジアの男性と結婚して幸せに暮らしているそうだ。

 

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(ガルダ湖の近くのオリーブ園)


 私は、あの温かい一家がバラバラになり、みなそれぞれロベレットを離れて新しい人生を歩んでいる現実を、複雑な気持ちになりながら受け止め、人の運命の不思議を思うとともに、とりわけ遠い国へ行ってしまったお母さんのことを考えた。

 お母さんはあのころ、素晴らしく料理が上手で子どもたちの面倒をよく見てくれたが、どこか無理をしているような雰囲気が感じられ、時折、ふっと翳のある表情を見せることがあった。また、未亡人の姑とは絶対に一緒に住まない、などと頑として言う強さも、彼女は持ち合わせていた。まだ大人になりきらない年齢で、陸上選手としての才能をフルに開花させることもなく、歳の大きく離れた男性と結婚し、母親になった彼女は、もしかしたら育児がひと段落したところで、自分の足で立って新しい人生を生きてみたいという、強い思いに駆られたのではないだろうか。生まれ育ち、家庭まで築いた北イタリアを後にし、未知の国へ出かけたお母さんは、オリーブに彩られた、安定した変化のない風景のなかでの人生に、飽き足らなくなったのかもしれない。

 下の娘が大学に入り、時間の余裕ができた80年代半ばごろ、女性も自立して生きるべきだという女性解放運動の波が、カトリックの古い伝統にしばられて保守的になりがちな「オリーブ圏」の国々にもようやく届いて、お母さんを鼓舞し、第2の人生に向けて背中を押したとしても、不思議ではない。私は、ひとりの人間として生きるために夫を捨てて家を出た、イブセンの「人形の家」の主人公、ノラにお母さんの姿を重ね合わせた。そして、旧約聖書で、大洪水にあい箱舟に乗ったノアが、オリーブの枝をくわえた鳩に導かれて新天地に向かったように、お母さんがオリーブの若葉をバッグに詰めて、南米というまったく文化のちがう地に飛び込んで行った様子を、思い描いた。

 そんなことにまで想像が及んでしまったが、ともかくチンツィアが幸せそうだったので、嬉しかった。「ナオコ、イギリスに住むようになったのね、近くだからぜひ、会いましょう」とチンツィアは以前と同じ明るい口調で言い、私たちは再会を約束した。


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 しかし、じつは、チンツィアとの再会はいまだに果たせずにいる。3年ほど前、彼女から、「夫がばくちに大失敗して、蒸発した」との連絡があり、それ以来、音信不通になってしまったのである。私は突然の彼女の人生の暗転に、唖然として言葉がなかった。亭主は家族の銀行口座から、子どもたちのための貯金も含めて全財産を持ち去ってしまった、ということだった。


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 天候不順なイギリスで暮らしていると、時々むしょうに太陽が見たくなる。その後も何度か、私は太陽を拝みにイタリアやギリシャに出かけて行った。そのたびに、オリーブの木々に出会う。オリーブの風景を目にすると、私はチンツィアとロベレットを思い出す。そして、私に勇気と力をくれたあのたくましさで、彼女が困難を乗り切っていることを願っている。情報化時代のいま、私はまた、チンツィアと連絡がとれる日が必ず来ると信じている。そうしたら今度こそ、彼女と再会しよう。

オリーブのある風景2 日の入り

 (ギリシャ・コーフ島。山の斜面にオリーブと糸杉の木々が見える)   (コーフ島で見た日の入り)